A・ヒッチコック、F・トリュフォー 山田宏一・蓮實重彦 訳
B5判上製 388頁
定価:4,400円(本体4,000円)
978-4-7949-5818-1 C0074 〔1981年〕
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これが映画だ! 映画の巨匠が華麗なテクニックを大公開。サイレント時代の処女作から最後の作品まで、520枚の写真を駆使して語りつくす。
「まず読み物として興味津々」「技術面だけにとどまらず、技術と主題、形式と内容とが不可分のものであることを、じつに説明的に語っているところに本書の真の価値がある。」(朝日新聞評)。
演劇とも小説とも違う、「映画の面白さ」とは何か?
答えは、この名著の中にある!
―――宇多丸(Rhymester)
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◇アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)
1899年、ロンドン郊外の食料品商の家に生まれる。サイレント映画の字幕制作者を経て監督となる。1939年までイギリスで、1940年からはアメリカで、計53本の長篇作品をつくりあげた。<ヒッチコック・タッチ>と呼ばれるサスペンス映画の至芸を駆使し、独自の映画文法を完成させた。1980年死去。
1899年、ロンドン郊外の食料品商の家に生まれる。サイレント映画の字幕制作者を経て監督となる。1939年までイギリスで、1940年からはアメリカで、計53本の長篇作品をつくりあげた。<ヒッチコック・タッチ>と呼ばれるサスペンス映画の至芸を駆使し、独自の映画文法を完成させた。1980年死去。
◇フランソワ・トリュフォー(François Truffaut)
1932年、パリ生まれ。映画批評家から映画作家へ。監督作品――『ある訪問』『あこがれ』『大人は判ってくれない』『ビアニストを撃て』『突然炎のごとく』『二十歳の恋』『柔らかい肌』『華氏451』『黒衣の花嫁』『夜霧の恋人たち』『暗くなるまでこの恋を』『野性の少年』『家庭』『恋のエチュード』『私のように美しい娘』『アメリカの夜』『アデルの恋の物語』『トリュフォーの思春期』『恋愛日記』『緑色の部屋』『逃げ去る恋』『終電車』『隣の女』『日曜日が待ち遠しい!』。1984年死去。
1932年、パリ生まれ。映画批評家から映画作家へ。監督作品――『ある訪問』『あこがれ』『大人は判ってくれない』『ビアニストを撃て』『突然炎のごとく』『二十歳の恋』『柔らかい肌』『華氏451』『黒衣の花嫁』『夜霧の恋人たち』『暗くなるまでこの恋を』『野性の少年』『家庭』『恋のエチュード』『私のように美しい娘』『アメリカの夜』『アデルの恋の物語』『トリュフォーの思春期』『恋愛日記』『緑色の部屋』『逃げ去る恋』『終電車』『隣の女』『日曜日が待ち遠しい!』。1984年死去。
◇山田宏一(やまだ・こういち)
1938年、ジャカルタ生まれ。映画評論家。著書――「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」「映画的な あまりに映画的な美女と犯罪」「トリュフォー、ある映画的人生」「フランソワ・トリュフォー映画読本」「何が映画を走らせるのか?」「映画的な、あまりに映画的なマキノ雅弘の世界」「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」「トリュフォーの映画誌」「ヒッチコック映画読本」「ヒッチコックに進路を取れ」(和田誠と共著)「ジャック・ドゥミ+ミシェル・ルグラン シネマ・アンシャンテ」(濱田高志と共著)等々。
1938年、ジャカルタ生まれ。映画評論家。著書――「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」「映画的な あまりに映画的な美女と犯罪」「トリュフォー、ある映画的人生」「フランソワ・トリュフォー映画読本」「何が映画を走らせるのか?」「映画的な、あまりに映画的なマキノ雅弘の世界」「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」「トリュフォーの映画誌」「ヒッチコック映画読本」「ヒッチコックに進路を取れ」(和田誠と共著)「ジャック・ドゥミ+ミシェル・ルグラン シネマ・アンシャンテ」(濱田高志と共著)等々。
◇蓮實重彦(はすみ・しげひこ)
1936年、東京生まれ。フランス文学者、評論家。著書――「批評あるいは仮死の祭典」「反=日本語論」「フーコー・ドゥルーズ・デリダ」「映画の神話学」「映像の詩学」「シネマの記憶装置」「表層批評宣言」「映画誘惑のエクリチュール」「監督小津安二郎」「映画はいかにして死ぬか」「映画に目が眩んで」「ハリウッド映画史講義」「映画狂人日記」「映画狂人、神出鬼没」「帰ってきた映画狂人」「傷だらけの映画史」(山田宏一と共著)「映画への不実なる誘い」「ゴダール革命」「「赤」の誘惑」「映画崩壊前夜」「映画論講義」「ゴダール マネ フーコー」「随想」「伯爵夫人」等々。訳書――ロブ=グリエ「去年マリエンバートで/不滅の女」、「ゴダール全集」、ドゥルーズ「マゾッホとサド」、バルト「映像の修辞学」(杉本紀子と共訳)等々。
1936年、東京生まれ。フランス文学者、評論家。著書――「批評あるいは仮死の祭典」「反=日本語論」「フーコー・ドゥルーズ・デリダ」「映画の神話学」「映像の詩学」「シネマの記憶装置」「表層批評宣言」「映画誘惑のエクリチュール」「監督小津安二郎」「映画はいかにして死ぬか」「映画に目が眩んで」「ハリウッド映画史講義」「映画狂人日記」「映画狂人、神出鬼没」「帰ってきた映画狂人」「傷だらけの映画史」(山田宏一と共著)「映画への不実なる誘い」「ゴダール革命」「「赤」の誘惑」「映画崩壊前夜」「映画論講義」「ゴダール マネ フーコー」「随想」「伯爵夫人」等々。訳書――ロブ=グリエ「去年マリエンバートで/不滅の女」、「ゴダール全集」、ドゥルーズ「マゾッホとサド」、バルト「映像の修辞学」(杉本紀子と共訳)等々。