45頁「かこまれた記憶」は、姉と私の写真ですが、私の方だけを鉛筆で描いて貼りなおしています。自分を追体験して、また写真のなかに戻すという、そういう作業です。
62-63頁の「人は刑罰のように幸福を味わう」では作品が大きくなっていて、写真から鉛筆で描いたものです。
盲人団体の仕事はかなり忙しかったので、仕事か創作か選ばなければならなくなりました。それで結婚を機に仕事を辞めました。箱の作品を作っていたころです。けれどそれも、この写真を使ってこの色でという感じで次第にバリエーション化されていって、自分でつまらなくなってくるんです。なにかもっと違うことをしたいと……。
そのころはまだ景気もよく、画廊も作風が変わったほうが面白い、もっと新境地を見たいといってくださって、絵を描いたら、それで発表させてくれたのです。
9頁の「記憶はふいにとおいにせよ」と14-15頁の「意味はいつもはじめの姿にかかわるのだと」も同時期のものですね。
その後から和紙に描きます。87頁の「決意の手放し」です。
この間に離婚したりもしますが、懸命に絵を描き続けました。
推薦していただきました。なんにつけても推薦していただけるのは嬉しいことです。
石原吉郎という人の詩が大好きで、私が二十歳くらいの時にその方の全集が刊行されたのですが、そのなかの散文にはとても興味を引かれました。
戦争を実際に体験した世代で、しかも彼はシベリアに抑留されてしまうんです。生きるか死ぬかというつらい思いをするわけです。それで日本に帰ってきたら今度は、「お前はアカなんじゃないか」といわれるわけですよ。彼の気持ちとしては日本という国のために抑留されていたという気もあったでしょうに、そうしたことだから、自分は日本の社会や国とどうやって接していったらいいか、すごく考えたと思います。
その彼の結論は、「自分は告発はしない」というものでした。強い怒りが悲しみになっていったのでしょうか、彼は、告発をしないという立場をとるということを散文に書いていて、その姿勢に私はぐっときたんです。
今は、ここを転機に、もう少しクリアーな絵を描けるようになれたら、と考えてます。
これまでは描いていると、気持ちが盛りだくさんにしようという方向に向かっていたと思うんです。そうではなくてもっと絞り込んで描いてみたいと考えたりしています。
(2008.9.25)
1958年東京都生まれ。80年代より作品を発表。作家の登竜門とされる「VOCA」展(上野の森美術館、1997,98)、「〈私〉美術のすすめ─何故〈WATAKUSHI〉は描かれるか─」(板橋区立美術館、1997)、「メデイテーション 真昼の瞑想」(栃木県立美術館、1999)、「愛と孤独、そして笑い」(東京都現代美術館、2005)などに出品している。