◆ガマの油売り的人生処方箋
本の出版が同時期に重なった萩原朔美と、「ハギエノ合同出版記念会」を六本木のスーパーデラックスでやることになったが、その萩原は、「柳美里や、伊藤比呂美のように、付き合った男を徹底的に描写するようなことを自分は出来ない。だから自分は二流のエッセイストでいいと思っている」とよくいう。
人が面白がるくらいの描写をすれば、当然当人が傷付く事態も生じてくるというわけだ。そのくらいなら最初から書かないというのが萩原の執筆態度である。しかし母・萩原葉子を描いた今回の『死んだら何を書いてもいいわ』(新潮社)は、相当踏み込んだ描写をしているのだろう。相手は死んでいるのだし、書いてもいいというお墨付きをもらっているのだから、いくらでもやれる。
かくいう萩原朔美のいろいろを、私は『東京モンスターランド』で相当バラしてしまっている。萩原が今さら傷つくとは思わないが、こんな人なの?と思われるくらいのことはあるかも知れない。
先日あるところで、リストカットバリバリの少女に出会った。その幾筋もの腕のカミソリの刃のあとを隠そうともせず作業をしていた。でも、この子は死のうとは思っていない。死のうと思った瞬間の記録を大切にして生きているのだと思った。リストカットすることによって、生きることを選ぶ。そんな生き方もあるのだと思った。「切っては止め、切っては止め」これはもう、ガマの油売り的人生処方箋である。
私の後期少年時代は、「人類函」や、「鏡の部屋」「ぷよぷよ」の詩に代表されるように、孤高な自閉願望と、果敢な社会参加への希求の狭間で揺れていた。こうした少年期独特のアンビバレンツを、私は今でも引きずっている。けれども『東京モンスターランド』は、ラッキーでハッピーな出会いに満ちている。
◆モンスターランドへようこそ!
わが師デザイナー粟津潔から始まり、絶世の詩人吉原幸子、緊縛エロスの巨人団鬼六、虚構の大魔人寺山修司、繊細美少年萩原朔美、パルコ学校の鬼教師増田通二、ヘンタイよいこの糸井重里、ダンボールアートの天才少年日比野克彦、世界の共生建築家黒川紀章、爆発芸術家岡本太郎、エロトスの写真家荒木経惟、淋しがり屋で激情の演出家東由多加、この『東京モンスターランド』の登場人物は、その個性的な魅力に事欠かない。そしてこれらわが心のモンスター達が私は大好きある。しかし、考えてみたら女性は吉原幸子しかいない。
しかしここには、ドイツ系フランス人のジゼール・シルドという過激な女性モンスターが登場する。詳細はぜひ本文を読んでいただきたい。そしてまた、ひそかに私の心を誘惑した、あえかな女性達の存在も否定のしようがない。ささやかだけどかけがえのない出会いが、私を励まし、時には傷つき、生きてきた。
ほんとうに少ししか記述できない人のなかに、私のいいようのない重要な時間が潜んでいることを、賢明な読者はきっと発見されるものと思う。自分を記述するというのはきっとそういうものなのだ。さらには一行も触れることのなかった、しかし私にとってかけがえのない人もいる。「実際に起こらなかったことも歴史のうちである」といったのは寺山修司であるけれど、描かれなかった物語のなかにこそ、私の本当に求めていたこともある。さて、私は私小説家ではない。『東京モンスターランド』では記述できなかったことを、これから私はどのようにして、私の外側に残そうとしていくのだろうか。残せるのだろうか。それこそが時代の描写ではなく、私自身の深層の記述になっていく。はたして、私はそれをやれるのだろうか。
(2008.11.1)
*出版ダイジェスト2008年11月1日号掲載エッセイを改題
1947年東京生まれ。デザイナーとして、草月アートセンター、演劇実験室・天井棧敷等にかかわる。75年萩原朔美と『ビックリハウス』を創刊。以後、プロデュースやアートディレクション、編集企画等の仕事を幅広く展開。91年「日本文化デザイン会議・島根」議長。現在、京都造形芸術大学教授・情報デザイン学科長、全国税理士共栄会文化財団理事、かいぶつ句会同人。