TOP > web 連載 > 土曜日は灰色の馬 > 第6回 内田善美を探して〈1〉

土曜日は灰色の馬
 少女漫画とは、文字通り、少女時代をずっと一緒に過ごしてきた。
 あちこちで書いているが、私が少女漫画というジャンルを最初に認識した漫画は、一条ゆかりの『クリスチーナの青い空』と萩尾望都の『ドアの中のわたしのむすこ』である。
 それまでにも西谷祥子や忠津陽子の漫画は読んでいた。西谷祥子は六十年代のお洒落で豊かなアメリカを描いていたし、忠津陽子はおきゃんで溌剌とした女の子を描かせると右に出る者はいなかった。谷ゆき子の出生の秘密&バレエの漫画や鈴木研一郎の青春漫画なんかも読んでいた。
 だが、私の中でははっきりと、この二つの作品を境界線として「それ以前」「それ以後」に分かれているのである。なぜこの二作なのかはまた別の機会に譲るとして、今回の趣旨は、現在の私の「面白いストーリーとは何か」という基準に影響を与えてきたと思われる、小学校時代の「思い出の少女漫画」を挙げてみることである(←って、なんだか重々しいけど、そんなにたいしたもんじゃありません)。

◆里中満智子『恋人はあなただけ』
 ストーリーテラーという点で、図抜けていたのは里中満智子である。初めて読んだ頃から、既に大家だった。性格が正反対の双子を描いたコメディタッチの『アップルマーチ』、台詞にとことんこだわったという恋愛群像もの『アリエスの乙女たち』、スターを目指す少女のシビアな現実を描いた『スポットライト』など幅広い漫画を描いていた。
 しかし、今振り返っていちばん印象に残っているのが、たぶん里中満智子の作品歴ではあまり有名でない『恋人はあなただけ』なのである。三人の男性に求愛される女の子が、そのうち誰を選ぶのかという、設定だけみると至極少女漫画的なストーリーなのだが、これがなかなかどうして、一筋縄ではいかない先の読めない話だった。連載第一回で、ヒロインは三人の求愛を受けて迷うものの、いちばん大人っぽくて優しい男性と婚約する。ところが、第一回のラストで、いきなり婚約した男性が戦死したという知らせを受けるところで「つづく」となるのである。このあと、少ない登場人物で意表を突いた展開が続くのだが、結局、三人のうち彼女にいちばん厳しく、甘やかされたお嬢さんだった彼女の成長を見守ってくれていた男性の愛情に気付き、「私の恋人はあなただけ」と最後に悟るところで終わる、渋い話だった。

◆和田慎二『銀色の髪の亜里沙』
 和田慎二のミステリー・サスペンス色の強い漫画にも夢中になった。『愛と死の砂時計』や『朱雀の紋章』など、そのままそっくり二時間ドラマや映画になりそうなよくできた話が多く、キャラクター設定も完璧で、エンターテインメントとしての完成度が高かった。
 代表作『スケバン刑事』や、作者がライフワークとして描いていたファンタジー『ピグマリオ』よりも、私は『銀色の髪の亜里沙』や『超少女明日香』のほうが好きだし、完成度が高いと思う。『銀色の髪の亜里沙』は復讐もので、復讐ものは雌伏期間が大事ということを教わった。両親を奪われ地底湖に閉じ込められたヒロインが、そこに先に流れ着き生き延びていた考古学博士夫妻に知識を学び、地底の狩りで身体能力を鍛え、地上に脱出した時に、地下で身に着けたものを活かして復讐していくというところに感心した。『超少女明日香』も復讐ものなのであるが、本当は美少女で人智を超えた能力を持つヒロインが、普段はダサくて地味なお手伝いさんというギャップが、古くは「スパイダーマン」、あるいは日本で幅広い支持を得ている「水戸黄門」や「必殺仕事人」に通じる、万人の心をくすぐる要因だということを学んだのであった。

◆みなもと太郎『ふたりは恋人』
 少女漫画誌で少女漫画を描いている男性作家は、ある意味女性作家よりピュアに女性を崇拝しているところがある。先の和田慎二をはじめ、弓月光や赤座ひではるなど、彼らの漫画には子供心にも女性に対する尊敬を感じていたような気がする。
 みなもと太郎は今では『風雲児たち』など歴史エンタメの漫画家として認知されているが、私が最初に知ったのは週刊少女フレンドに連載されていた『ふたりは恋人』だった。毎回四〜六ページしかない、コマが一ページにせいぜい二つか三つの、絵本のような漫画である。線がとても綺麗で詩情があって、大好きだったので毎週切り取って繰り返し眺めていた。告白するが、私がこれまでにファンレターを書いたのは後にも先にもみなもと太郎一人だけである。
この漫画、レイモン・ペイネの「愛の世界旅行」が念頭にあったというのを聞いて、なるほどと思った記憶がある。『ふたりは恋人』の主人公は、推定年齢六歳(たぶん)のカップル、チョージューローちゃんとミミちゃん。台詞に吹き出しがなく、詩のようにコマに配置されていた。A5判変形(たぶん)という絵本のような綺麗な単行本が出た時は嬉しくて嬉しくて、ずっと大事にしていたのだが、哀しいかな、漫画は引っ越しの際、まっ先に処分される。今でも手放したことを最高に後悔している本のひとつである。

◆高階良子『おしかけ秘書』
 初めて高階良子を読んだのは江戸川乱歩の『黒蜥蜴』の漫画化したものであった。うまく少女漫画風にアレンジしてあり、同じく『パノラマ島奇談』を翻案して漫画化した『血とばらの悪魔』もよく出来ていた。この人は怖い漫画専門で、マッドサイエンティストものの『地獄でメスがひかる』とかジョン・ファウルズ(というよりも、ウィリアム・ワイラーが撮った映画版のほうの影響だろう)の『コレクター』みたいな話の『昆虫の家』とかおどろおどろしいものがうまかった。当時の少女漫画は感動もの担当、スポーツもの担当、というふうに漫画家が分かれていたのである。
 ところがこの『おしかけ秘書』は一八〇度違うアップテンポのコメディ。タイトルそのまんま、一流企業の社長室にあらゆる手を使って潜り込み、秘書になろうと奮闘する女の子の立身出世もの(?)で、豪快さがとても面白かった。怖い漫画を描ける人はコメディも描ける、ということを(逆もまた真なり)刷り込まれた一冊である。

◆忠津陽子『ロザリンドの肖像』
 忠津陽子はストーリーテラーであり、きちんとしたロマンチック・コメディが描ける人であった。つまり、この人も怖い話を描けるのだ。雑誌「花とゆめ」で「ゴシックシリーズ」という企画があった時、七、八作くらいあった中でいちばんの傑作がこれだった。
 謎めいたお屋敷、そこにやってくる若者たち、忌まわしい美女の肖像画。この中の、とある一ページにぶっとんだ。
 ロザリンドという名前、何か因縁があるのだろうか。前にも書いたが、わたなべまさこの『聖ロザリンド』という漫画も、美少女殺人鬼が主人公という前代未聞の漫画だった。

◆井出ちかえ『ボダからの脱出』
 実はこの漫画、よく覚えていないのである。掲載誌もどこだったのか分からない。ただ、古代文明(たぶんマヤ・アステカ文明)をテーマにした冒険ものの漫画だったということしか。ものすごくアクの強い絵だったということしか。しかし、作者とタイトル名だけがしっかり焼き付いているので、何か凄いインパクトを受けたことだけは覚えているのだ。
 目下のところ、再読したい漫画の第一位なのである。

◆山田ミネコ『死神たちの白い夜』
 まだ怖い漫画が続く。この漫画の怖さについては他のところでも書いたが、ラストシーンの恐ろしさでは未だに私の中ではダントツの一位である。このラストシーンをこの可愛い絵でやられた日には、トラウマになるというものである。
 山田ミネコはハルマゲドン・シリーズが代表作になったが、SFもの以外にクリスティっぽいミステリも書いていて、私は『走れアリス』をはじめとするそちらのシリーズのほうが好きだった。SFものでは、初期のコメディ短編で、宇宙人を信じている青年と信じていない青年が一緒に住んでいて、ある日自称「金星人」という女の子がやってくるという、「ペレランドラに帰りたい」が好きだ。

◆一条ゆかり『笑ってクイーンベル』
 ここで話題にしたいのは、ロマンチック・コメディというジャンルである。かつてはハリウッドでも少女漫画でも存在したが、現在はほぼ絶滅した。たぶん、日本で最後にロマンチック・コメディを描いたのは高橋留美子なのではあるまいか(少年漫画だけど)。
 『笑ってクイーンベル』は、修道院で暮らしていたドジでなんの取り柄もないヒロイン・クイーンベルが、実は大富豪の娘だったことが分かっていきなり大金持ちの大邸宅に送りこまれるという正統ロマンチック・コメディだ。一条ゆかりは正しいロマ・コメでも一流の人で、『ジェミニ』も『星降る夜にきかせてよ』も、地味でガリガリの女の子がちゃんと憧れの君と結ばれるというハッピー・エンド。かつてはまるやま圭とか山本優子とか華やかなロマ・コメを描く人がいて、このジャンルは栄えていた。

◆大矢ちき『いまあじゅ』
 細かくて、プログレッシブ・ロックのジャケットの表紙になりそうな、西洋風としか言いようのない華麗な絵。『おじゃまさんリュリュ』や『雪割草』など、絵を見ているだけでも楽しかった。少女漫画を読まない人には、雑誌「ぴあ」の巻末で長期連載していたぎっちり描き込まれた難しいパズルの絵で覚えているかもしれない。『いまあじゅ』は幻想的な短編で、かなり異色な、今読んでも難解とすら言える短編だ。同じ場面が何度も繰り返されるところが印象に残っていて、分からないなりに少女漫画でこんなこともできるのだと思ったことを覚えている。

◆太刀掛秀子『ミルキーウエイ』
「りぼん」の新人漫画家登竜門でめったに出ない最高賞「りぼん賞」を獲って出てきたことで強い印象がある太刀掛秀子。いっとき陸奥A子や田渕由美子と一緒に「キャンパス漫画」とくくられていたが、それには収まらない正統派ドラマを描く人だったと思う。『ミルキーウエイ』は、当時では珍しい、血の繋がらないきょうだいを死なせてしまったという負い目を持つ女の子の贖罪と癒しの話で、シビアなやるせない展開で印象に残っている。

◆美内すずえ『ポリアンナの騎士』
 「お話が面白い」ことでは、やはり美内すずえである。『ガラスの仮面』は言うに及ばず、美内すずえの漫画はどれも面白かった。生きている森を描いた『みどりの炎』、猫に人間が襲われる『金色の闇が見ている』。『ガラスの仮面』は、三國連太郎主演の映画『王将』を下敷きにしているそうだが、少女漫画には珍しいコン・ゲームものの『エリカ赤いつむじ風』も強欲な人形商人にひと泡吹かせるために、いったん買い取った人形を高値で引き取らせるよう画策するなど、いかにも大阪人らしくて面白かった。
 ひときわ冴えていたのが怖い漫画である。魔女たちの学校に転入した少女の恐怖を描いた『13月の悲劇』は夢に出るほど怖かった。オカルトものでは『白い影法師』がすさまじく怖く、こっくりさんのシーン、クライマックスの怪異のシーンは怖い漫画の歴史に残ると思う。現代の少女に先祖の魔女が復活する『魔女メディア』、凄まじい呪いを描く『黒百合の系図』、どちらも怖くて面白かった。
 さて、ここに紹介するのは、異色の作品として記憶に残っている『ポリアンナの騎士』だ。ある種、「奇妙な味」の短編と言えるかもしれない。
 ヒロイン・ポリアンナは、子供の頃から危険に遭遇する度に必ずその場にいて助けてくれる男性がいる。彼女は彼を運命の人と思い、次に会えるのを楽しみにするようになるが、実は彼は──という不思議な後味を残す作品で、子供心にも「よくこんな不思議な話を描くなぁ」と思ったことを覚えている。

 他にもたくさん思い出の作品はあるし、山岸凉子や萩尾望都の作品はまた別枠なので、とりあえずこれが少女漫画第一期に私の核となった作品だ。こうしてみると、やはり私は、ひねりのきいたプロットに興味を惹かれていることが多いようである。
 サブタイトルになっている内田善美がいったいいつ出てくるのかと疑問に思う向きもあろうが、実は今回はまだ辿りつかない。この続きはまた次回。

(2008.1.15)