第12回 ロンドンのリトル・ヴェニス
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パディントン駅を出て西に向かって鉄道の上の陸橋を越え、モーターウェイを地下道で横切り、北側の閑静な住宅地へ入ると、白い二階建ての住宅が両側に並んで、初めてそこを訪れた日本人の私には、中の上くらいの美しい街並みに見えた。
エッジウエア・ロードの陶芸教室に家内と通っている間に猫の陶器ばかり造っているイタリア人のおばあさんと知り合った。誘われるままに土曜日の夕方、地図をたよりに訪ねてみた。エレーナ・ベルニーニというアーティストのような立派な名前の、ユーモアのある初老の婦人で、両親は音楽家で、クァルテットを組んで日本にも演奏旅行にいったことがあるといっていた。自分はユーゴとオーストリアの国境の汽車の中でポンと産まれたのだと、拇(おやゆび)を口にくわえて音を立てて抜き取って笑った。イタリア人、インド人、ユーゴ人、ブラジル人などの仲間が集まり、ギターを弾き、歌を歌い、パスタをゆでて食べた。
ノンナというニックネームのそのおばあさんはイギリスで年金をもらい、ロンドン市から白い瀟洒な家に無料で住まわせてもらっていると聞いて、イギリスの福祉政策に感心したものだ。息子はマントヴァに住み、元女優の姉さんはボローニャの俳優のための老人ホームに住んでいると聞いてこれも感心した。姉は『トリスタンとイゾルデ』でイゾルデを演じ、壷から媚薬の酒をごくりと飲んだのだと、喉を鳴らして演技してみせた。
そのノンナが家の前の通りの先に美しいリトル・ヴェニスという運河があるのだと教えてくれた。そこでいつもギターを弾いて歌っていたエドガーはインドで生まれ、父親とタンザニアで暮らし、イギリスに移ってテレコムに勤め、50代で繰り上げ定年退職した。
エドガーはメイダ・ヴェイルという街区に住んでいて、小さな活字体の文字をルース・リーフの紙の裏表にびっしり書き連ねた手紙をくれる。イギリスの新聞の『ガーディアン』や『オブザーバー』をよく読み、日本の新聞のアメリカ寄りの薄っぺらな国際政治の解説や論説では窺い知れない、米国・西欧とイスラエルとイスラム諸国の3極が構成する地政学を、地球の向こう側からくだいて解説してくれると、中東の情勢がじつによく分かり、日本にいる自分の無知を恥じるのだ。ビン・ラディンのことから、リビィア、イラク、イラン、アフガニスタンのことまで、石油と核兵器の存在が構成する力の枠組みのアンバランスの現実が、碁盤上の白黒の布石のように明晰になる。キッシンジャーと中東の核兵器の関係。最近読んだ中国論の書評では、米国の中国包囲戦略は自由とか民主主義とかの大義で組み立てるが、中国は碁石の布陣、goで動いていることが分かってきたという。さもありなん。日本はなんの戦略で動いているのか。この頃の政治家は碁を打つ暇もないのだろう。
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4月の晴れた日曜日、エドガーがリトル・ヴェニスを案内してくれた。リージェント・パークのロンドン動物園を東端にしてグランド・ユニオン・キャナルの細い運河を西へ西へと地図の上で辿ると、最後はテムズ河につながっている。隅田川よりずっと大きなテムズ河以外は水辺のほとんどないロンドンの街で、リトル・ヴェニスの名に惹かれて細い遊覧船で、岸辺の白い家々と樹木、白鳥と鴨の列を眺めて憩う人たちもいる。地下鉄のウォーウィック・アヴェニュ駅で降りて地上に出、南に向かって歩くと、じきに運河の鉄柵が見えてくる。両岸にバージと呼ばれる平底舟が舫(もやい)でいる。楽しい船旅を想像するよりも沈んだ生活の臭いがする。窓も低く小さい。エドガーに訊くと、それは運河を掃除したり浚ったりする仕事をする水上生活者の生活の場なので、なかには長く係留して土手に花壇を作っているのもあるが、子供は親の仕事場の移動のたびに学校を変わったり、遠くまで通ったりすることになるのだという。どことなく人目を忍んで岸辺にうずくまっている風情がある。観光船がきてT字路の広い水辺で回転したりすると少し華やぐが、キャビンの外に立てるのは2、3人なので、窓辺の客は低い窓から岸辺を見上げることになる。赤いテント張りの人形芝居小屋のボートもある。水辺のカフェ、冷たい水鏡に映る濃緑の樹木、白い邸宅、わずかな花、イギリスの重い風景画。上流の白い雲とコバルトブルーの空だけが天上へ抜けている。
イングランドを汽車で旅していると、畑の中に思いがけなく白いボートが浮かんでいたり、谷の上の陸橋を汽車ならぬボートが動いていたりしてびっくりすることがある。平地の多い国中に水路が開発され整備されて、かつては重要な交通手段だったのだ。ボートを所有して、一年がかりで国中の運河を旅して過ごす優雅なイギリス人もいる。レジャーとは時間なのだが、日本は忙しい国だ。
(3)
エドガーは両手の人差し指と親指でフレームを作って写真撮影のスポットを教え、やがて運河を離れ、高級住宅街を巡り、二つのマンションの間の通路を入って、奥の中庭のような植物園へ案内してくれた。日曜日の午後のまぶしい日射しを受けて、近隣の婦人たちが美しい花園で気に入った花や苗を選んで籠に入れ、巡り歩いて幸せそうに肌を赤くしている。北国のイギリスの春の訪れ。
エドガーはアパートのいろいろなエピソードを細かい活字体の文字を綴って送ってくれる。タイプライターもパソコンももっていない。一階右隣の婦人がコブラを飼っていて、夜庭に放していると、左隣の飼い猫が柵を越えてコブラの庭に侵入し、やがてか細い猫の悲鳴が長く聞こえ、沈黙した。猫の飼い主の婦人が激怒して警察に訴えた。白衣を着た動物愛護協会のクルーがやってきてコブラを捕獲器に収納し、車で運び去り、飼い主は罰金を課せられたと。
独り者のエドガーは昔よくハイドパークで人の後をつけて歩き、人が話していることに耳を傾けるのを趣味にしていた。それほど面白い生の話はないというわけだ。こうして手紙で物語を書き綴るうちに、彼の英語は次第に間違いが少なくなり、語彙も豊かになってきた。細かい字で丹念に手紙を書き、物語を語ることは大事なことだ。自学自習。
そんなエドガーがあるときまた長い手紙を書いてきた。こんどは私にそれを日本語に訳してくれといってきた。昔大阪出身の日本人のロンドン駐在員と道で知り合い、ノンナを紹介した縁でしばらく文通していたが、やがてその人は癌で亡くなり、その娘さんにクリスマスカードと手紙を送るようになったという。その娘さんは日本の大学を出ているが、簡単な英語も書けないので英語は不得意のようだという。私はエドガーが娘のお父さんと道を教えた縁で知り合ったいきさつと自分の日常生活の丁寧な報告文を、分かりやすい日本語に訳して送ってやった。エドガーの英文は易しい英語で書かれていたのだが、大学を出た日本の女性がこんな英文を読めないとは、日本の大学教育の貧しさの証拠みたいで恥ずかしいと書いたら、エドガーはイギリス人でも英語の手紙が書けない人はたくさんいるといって慰めてくれた。
初めてノンナを訪ねてから10年後、これが最後になるかもしれないと、パディントン駅から歩いてエレーナ・ベルニーニの家を再訪した。電話もかけず突然に。白い石の家の、道路に面した高い窓辺にノンナはひとり座って、誰も歩く人のない通りを眺めていた。