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世界で会った人

 

第10回 パリのベケット

 

(1)

パリの屋根

パリの屋根

パリを訪れるのは10年ぶりだった。ダブリンでニール・モンゴメリが、「ベケットに会いたければコン・レヴェンサルに手紙を書きなさい」といって住所を教えくれて以来だ。その翌年パリに滞在したときは、「今別荘へ行く準備をしているところなので、こんどパリにこられたときにお会いしましょう」というベケットの伝言が、エディシオン・ドゥ・ミニュイ社から届いた。それから10年パリに行く機会がなかった。
「コン・レヴェンサルは亡くなりました。わたしが代わりにあなたのお世話をします」という返事がレヴェンサルのコンパニオンのマリオン・レイからきていた。
モンパルナスの東南に位置するサン・ジャック通りに、ホテルPLM・サン・ジャックというモダンなホテルがある。変な名前だが、T.G.V.が最初に開通したとき、パリ・リヨン・マルセイユの停車駅にちなんで建てたホテルだと知った。ベケットの住むアパルトマンの近くで、そこのエントランス横のプチ・カフェがベケットの客間であるとは聞いていた。ベケットのいうとおり、その裏にはプリゾン・ドゥ・ラ・サンテという刑務所がある。少々場末だが、『ゴドーを待ちながら』や『勝負の終り』の芝居を書いたベケットには相応しい場所だ。会見時間はいつも1時間と決まっているとは聞いていた。
ムッシュにベケットのテーブルを訊いて、約束の時間の20分前にテーブルにつき、入口の方をじっと見守った。

 

(2)

セーヌ河

セーヌ河

11時丁度、すべての皺が二つの目に集中し、そこから四方に拡散する深い筋は短い頭髪につらなっている、細身で長身のサミュエル・ベケットが私の方を見据え、焦点を合わせ、黒いジャケットに黄茶のウールのズボンを穿いて、そろりそろりとカウンターの前を通り、近づいてきた。私は反射的に立ち上がり、椅子の外に出てベケットの近づくのを待った。自己紹介して握手し、ベケットにうながされて、私がテーブルの奥の席に入れ替わった。
文学の鬼が目の前に座っている。素朴な農夫のような身体つきと態度。
「あなたは言葉や言語を信じていらっしゃいますか」と訊くと、即座に、
「アイ・ドン・ノウ」と小声でつぶやいて、ずっとうつむいたまま何十秒か過ぎた。
ベケットが私の前で頭を下げ、白いものが混じった髪が鶏冠のように頭頂から立っているのを眺め、ベケットがいままで書いたもの、今考えていることを想った。大作家と向かい合ったその沈黙の数分間、私には十分にも十五分にも思えた長い時間は、ベケットとの一時間の対話の中でもっとも充実した内的対話だった。私は粗野な質問をしたか、答えられない質問をしてしまったか。ベケットはこれまで自分の文学でしてきたことを考えているのだろう。まるで生きることを信じますか、と訊いたようなものだ。
私はじっと返事を待った。が、それが返事のすべてだった。

 

(3)

マロニエの歩道、パリ

マロニエの歩道、パリ

やがてベケットはジョイスの唯一の戯曲『さまよえる人たち』の話を始めた。
「パリのプチ・ロン・ポワン劇場で観ました」というと、ベケットは嬉しそうな顔をした。
「その結末でリチャードとバーサ[主人公リチャードとその妻バーサ、ジャーナリストのロバート、その従妹のベアトリス(リチャードとバーサの息子のピアノ教師)の四人の男女の間で]の関係があいまいになったままですね」というと、ベケットは黙っていた。
彼の難解で不可解な作品『事の次第』は主人公のわたしが鮪の缶詰の入った石炭袋を引き摺りながら泥の中を裸で這い進み、ピムに出会って、ピムの尻に爪を立てたり、親指の付け根を背柱に沿って摺り上げたり、睾丸をまさぐったりして声を上げさせる。ピムと会ってピムと別れる三部からなるこの小説のようなものを昔読んで、はたと思い当たったことがあった。
「『事の次第』はあなたの自伝ですか」と思い切って訊いた。
「ノン」と軽くひとことベケットは答えた。十年も待ったあげくにやっと会えたベケットにばかなことを訊いてしまった。
「そのなかにデカルトとは違う、〈他者〉があるのではないでしょうか。それがもっと拡大された〈コギト〉[われおもうゆえにわれあり]ではないかと思うのですが。ミシェル・フーコーの『言葉と物』よりも早く他者の問題を扱ったのではないでしょうか」と言葉を綴って訊いた。
「その本は読んだことはない」とベケットはいった。
彼がロンドンに住んでいる間に書いたといった最初の長編小説『マーフィー』の話になった。主人公のマーフィーが働いていた精神病院の患者で、彼のチェスの相手だったエンドンについて、
「主人公がエンドンの目の中に見たものについて、初めは主人公の自我かと思ったのですが、最近それは他者だということに気がついたのです」と一生懸命に話した。エンドンの名を出すとベケットは嬉しそうな表情になった。ベケットはしばらく黙ってから、J・P・サルトルの戯曲『出口なし』を読んだことがあるかと私に訊いた。恥ずかしながら読んでいませんと答えると、ベケットはその筋を話してくれた。
「建物の中に男一人と女二人がいて裁判を受けており、扉は閉じられてプライベートな空間で、大衆はシャットアウトされて中で何が行われているか知らされない。そこで〈ランフェ・セ・ロートゥル〉という言葉があります」
私が訊き返すと、「〈地獄とは他者である。〉他者がわたしに見たもの」と英語で説明してくれた。『マーフィー』の中で、ベケットが「彼がエンドンに見たものは彼がそこにいないということだった」と謎のように書いた四行の文句の意味が解きほぐれてきた。
「“地獄はわたし自身”という意味ですか」と訊くと、
「それはまたべつの地獄だ」といって笑った。
「ジョイスの『ユリシーズ』も地獄ですか」と訊くと、ベケットはしばらく考えてから、「彼はダンテを褒めていましたが、ダンテは地獄へ下って堕ちた人たちを見てまわったにせよ、“われわれは地上にいた”という過去形を使って書いていました。むしろ地上のことを多く書いていた。それが印象的でした」と答えた。日本のノブオ・コジマという作家も「“地獄を見なければ小説は書けない”といっていました」と話すと、じつに嬉しそうな、我が意を得たり、という表情をして、
「いたるところ地獄だらけだ」と悪戯っぽい目をしていった。
12時丁度、ベケットは立ち上がり、
「9月にパリへきたらわたしの芝居を観て、また会いにきて下さい」といって手を差し伸べた。わたしの手よりも高い位置にあるベケットの手を握ると、冷たい骨張った細い指は鳥の脚を握ったような感触だった。ベケットは大きなガラス壁の外の歩道を一歩一歩、足元を確かめるように進んでいった。
私はプチ・カフェに残って、ビールとニース風サラダとアイスクリームとコーヒーで昼食を摂り、頭の隅々に精一杯記憶し留めたベケットとの会話を、ひと言残らずノートに書き記した。