「ビックリハウス」と政治関心の戦後史

――サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体

富永京子 著
四六判上製 348頁
定価:2,750円(本体2,500円)
978-4-7949-7436-5 C0036〔2024年7月25日発売予定〕


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ほんとうに若者たちは政治に無関心なのか?
伝説的サブカル雑誌から
「若者の政治離れ」の源流に迫る。

「政治に関心がない」とされがちな若者の第一世代である「しらけ世代」。彼らはほんとうに政治や社会運動に関心がなかったのか? そして、なぜ現在に至るまで非政治的だとみなされているのか? 糸井重里、橋本治、YMOなどが登場した伝説的サブカルチャー雑誌『ビックリハウス』(1975―1985)から、「若者」たちの心のうちと彼らの“運動”の実態、その意図せざる帰結を実証的に明らかにする。
各メディアで活躍する社会学の新鋭が「若者の政治離れ」の源流に迫る渾身の一冊。

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【目次】

はじめに

第1部 問題意識・先行研究・方法と事例

 

1 1970年代以降、日本人は本当に政治と社会運動に背を向けたのか?

1−1 消費社会と私生活主義、公的なものへの無関心

1-2 1960年代以降における社会意識と政治参加の動態

1-3私生活主義と政治への忌避を代表する存在としての「若者」

1-4.本書の構成

2 先行研究と分析視角――政治史・経済史・社会史的観点から

2−1 なぜ「雑誌」なのか――1970-80年代の「共同性」と「政治性」を考える

2−2 同時代における若者雑誌の政治性と共同性

2−3 戦後における読者共同体の「政治性」と「共同性」の変容

2−4 事例としてのビックリハウス――共同性と政治性の「挫折」?

3 事例、方法、分析視角

3−1 事例――雑誌『ビックリハウス』

3−2 方法――雑誌の計量テキスト分析と内容分析

3−3 分析視角――戦争、女性、ロック

 

第2部 戦後社会の価値変容――戦争経験、ジェンダー、ロックの視点から

 

4 語りの解放と継承のずれ――「戦後」と「安保」から遠く離れて

4−1 1970年代以降の反戦・平和運動と方法を巡る是非

4−2 雑誌『ビックリハウス』における戦争の語り

4−3 「戦後」と「安保」から遠く離れて

5 女性解放――運動が成す個人の解放、解放された個人への抑圧としての運動

5−1 同時期の雑誌上における女性運動表象の両義性

5−2 「個の解放」への真摯さと「性の解放」の挫折

5−3 運動がなしえた個人の解放、解放された個人への規制としての運動

6 「論争」から「私的」へ、「頭」から「心」へ――みんなで語るそれぞれのロック

6−1 『宝島』とロック、政治、カウンターカルチャー

6−2 『ビックリハウス』はロックをどう「論争」したか

6−3 「人それぞれ」の読者・編集者共同体

 

第3部 みんなの正しさという古い建前、個人の本音という新しい正義

 

7 社会運動・政治参加――規範性・教条主義に対する忌避・回避の「主体的な」顕在化

7−1 政治への関与を辞さないサブカル雑誌

7−2 『ビックリハウス』の分析

7−3 「べき」への忌避、「主体性」の尊重、「共同体」の隘路

8 差別が「率直さの表明」から「不謹慎さを競うゲーム」になるまで

8−1 マイノリティへの「あけすけさ」は運動か遊戯か

8−2 『ビックリハウス』はマイノリティと差別をどう捉えたか

8−3 差別が「あえて」の率直さから、不謹慎さを競うゲームになるまで

9 自主的で主体的な参加の結果「政治に背を向けた」共同体

9−1 「言葉遊び」のパロディ誌としてのビックリハウス

9−2 民主的な「参加」に基づく読者共同体としてのビックリハウス

9−3 自発的に参加した結果、社会・政治に背を向けた「大衆」

10 意図せざる結果への小路──考察と結論

10−1 本書の知見がもつ普遍性

10−2 社会学・社会批評的な「世代論」「時代論」への反論

10−3 消費社会において、私生活を通じた公的関心の形成は可能か

おわりに

参考文献

付録 『ビックリハウス』頻出語リスト

 

◇富永京子(とみなが・きょうこ)
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専攻は社会学・社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動のサブカルチャー化──G8サミット抗議行動の経験分析』(せりか書房)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)、論文に ”Social reproduction and the limitations of protest camps: openness and exclusion of social movements in Japan”, Social Movement Studies 16(3)ほか。