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ロンドンからマルセイユまで

第5回 アルルのゴッホの気配

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アルルはローマ人の遺跡もあるプロヴァンスの古都で、11世紀から12世紀に建造されたサン・トロフィーム教会の扉口(ポルタイユ)を飾るロマネスクの聖者像は有名だ。改めて訪れて見上げると、思っていたよりはずっと整然として新しく見え、欠けたり崩れたりした部分は新しい石灰岩で補修されて白く際立っていた。するともう写真に撮る気がしなくなった。石が風化して丸みを帯びたり剥落した姿には千年の時間の経過が含まれているのに、補填した石材の写真を撮っても歴史の表現にはならない。遺跡の価値とはそういうものだ。崩れ、消えなんとする姿には過ぎた時間の跡がある。イメージをとるか素材をとるか。
絵は遺跡ではない。絵は汚れを洗浄し、疵を修復し、いつも現在であろうとする。絵は時間を超越している。私はエクスで描いた未完の水彩画をホテルの部屋で手を加えて仕上げる気がしない。色を塗り重ねれば絵らしくなるだろうが、長年写真を撮ってきた者には現実をとらえ、それでなにかを表現しようという習性が身についてしまっている。そこが絵画と写真の境界なのだが、本当はその二つは底でというか、頭の中で、あるいは目の中で、つながっているのだと思う。友人の老前衛画家に「どんな抽象絵画でも現実がないとだめなんですよ」と断言したら、「そのとーり」と電話の向こうで叫んだものだ。そこで現実とはなにかということになる。それは文学・芸術と世界との永遠の問題だ。
中央広場からエクスよりも鄙びたプラタナスの並木道に並ぶカフェを眺め、ラヴェンダ畑の絵はがきをラックに一杯乗せた店の売り子にゴッホの病院の場所を訊くと、「あそこを曲がるとすぐですよ」と思いがけなく近くの角を指した。
大通りから横丁に入り、市内地図を拡げて通りの名前をたしかめながら進むと、前方に灰色の石壁が高くひっそりと立っているのが見えた。上の方に小窓がいくつかあるだけで、人に見られたくない不吉な内部を隠蔽している雰囲気があって、

アルルのもと病院入口

アルルのもと病院入口

 病院というよりも収容所のような、施療院だと分かった。街の真ん中なのに周囲の華やかさを抑制し、日射しを避けるように建っていた。壁をぐるりと回り、石段を下り、レストランや土産物屋の間を進むと、やっと古色蒼然とした入り口があった。高い所に「神の館」と刻んだ石が嵌め込んである。病院を神の館と呼ぶのは神が救いの手を差し伸べる所という意味か。死ぬのを助けて神のもとへ救済するという意味か。 
 
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暗いアーチの奥に開かれた花園の中庭はささやかな楽園で、真っ青な光を浴びて、赤や黄の花を囲んでゴッホのアイリスが紫の襟を見せ合っている。大人の姿はなくて、花壇の外で若い夫婦がベビーカーの赤ちゃんにミルクを飲ましている。乾いた石の大地の上の町なのに、そこはなにか湿っぽく、黄土色のアーチの回廊と燦々と日を照り返す木々の緑陰に目を癒されながらも、気が晴れ晴れとしない空気が淀んでいる。アーチの奥はモダンなギャラリーに改装され、上階はアルル美術大学の校舎になっているというのだが、今も神か狂気が宿るのか。1888年ゴッホはゴーギャンとの画家の共同生活が破綻し、発作を起こして剃刀で耳を切り落とし、ここにあった病院に入れられ、窓に鉄格子のはまった独房に閉じ込められた。少し落ち着いてからこの中庭と黄色いアーチの回廊を描いた絵が一枚ある。貧しい、悲しげな絵。イタリアやスペインのパティオは、無表情な石の建物の一画に開いたアーチの奥の楽園のような風情がある。中央に緑に囲まれた噴水や天使の像があり、色とりどりの花が家族の愛に包まれて微笑んでいる。スペインの田舎町で、ふと覗いた華やかなパティオで幼児が遊んでいるのを裏の賑やかな通りとかん違いし、思わず足を踏み入れたとたんに恐ろしい顔をした警察官に睨みつけられ、平謝りで許してもらったことがある。そこは警察署の中だった。
ゴッホといえばうねる線の麦畑や糸杉や教会の、不安な気配を含んでいるがむしょうにいとおしくなる絵をすぐ思い浮かべるが、若い頃描いた風景、静物、人物、デッサンは驚くほどの正確な筆使いと落ち着いた色彩で、そのクラシックな技量と彩色はその後もなくなることなく続き、死んだ年に描いた麦の穂の均整のとれた構成は、ウィリアム・モリスの壁紙のデッサンを思わせるような秩序があり、サン・レミ精神病院の中庭の花壇と樹木の冷静な風景、そして同年の白い薔薇の見事な秩序ある瑞々しさには感嘆させられる。小林秀雄がその複製画(!)の前で魂を奪われて3時間も座した「黒い烏の群がる麦畑」は地獄を予感させる表現派ふうの絵で、死を覚悟して闘う執念の力を感じさせるが、この正気と狂気のそれぞれを表すともいえる二つの制作の系列の対照は何を意味するのか長年の謎であった。それを明かしてくれる企画の展覧会を観たことがない。アルルへ移ってからゴッホ独自のうねる描法と濃密な色使いを発見したと、年代的に解説する展覧会はあったが、それは死ぬまで並存し、
アルルのもと病院の中庭

アルルのもと病院の中庭

交互に繰り返していたのだ。それがゴッホの生であり、存在であって、冷静の中に予感とともに訪れる狂気の苦悩の現実だったのだ。彼の手紙は理路整然としている一方で、情熱と理想に溢れている。この謎を「ゴッホは牧師の子で、画として立たうと決心する前に、牧師にならうとして失敗した人である」という小林秀雄の言葉(「ゴッホの手紙」)を読んで半分くらい納得がいった。
 
(3)
だれにでもこういう断層はあるものだが、ゴッホのこの両者を分ける境界は狂気であり、それを越えなければ独創の自由は得られなかったのだが、ついには死が両者を隔てることになった。ドストエフスキーの「白痴」、ブルトンの「ナジャ」の狂気とシュルレアリスム。芸術の条件には狂気や死がある。人間の条件はなにか。やはり狂気のような現実かもしれない。それは世界のというよりも、「わたし」の内なる現実だ。
アルルの市庁舎の裏口の石段に立って、視界を遮るように建つアパルトマンのヴェージュ色の石壁と窓と鎧戸、それと直角に建つもっと古いアパルトマン、その奥に接して建つ別の建物、細い路地を挟んで奥へ奥へと連なる何百年前の石灰石の住宅、瓦屋根の上に覗くその裏の家の棟と煙突、その輪郭を鉛筆でなぞるとそのままキュビスムになる。写真のように自ずと線の傾きと影の明暗で遠近感を出すというわけにいかず、前後の線が重なり、表裏逆になり、それほど差がない明暗を、蔭を斜線で強調しないと立体感が出なくて、西に傾いた光が雨樋や電線や排水管の黒い影の脇の細い壁のスペースに当たるまぶしい効果を表そうとしても手をこまねくばかり、画用紙の淡い白さを残して、せめて隣の影をいっそう濃くするしかない。石の壁には無数の凹凸、染み、汚れ、留め金の影がある。それこそ建物の年代を示す家の肌なのだが、それを描くのは人間の肌を描くのと同じように難しい。「絵のように」美しく、憧れるように撫でるのならいいが、人生の苦労と年輪を肌に表現させるのは写真だってかんたんではない。
アルルの街

アルルの街


街はいろいろな肌でいっぱいだ。病院の埃を被った壁も教会の脂じみた柱も裏通りの不揃いの石畳も、人々の日焼けした肌も。ゴッホの絵はゴッホの神経の張り巡らされた風景や顔の肌といえるかもしれない。セザンヌの絵は物の見えない構造を色の面を通して透視しようとした。こちらは相変わらず花粉症に悩まされ、視界が涙で曇る。プロヴァンスの糸杉やハーブの花も日本の杉やぶたくさの花と通じ合う粉があるのか。嬉しいような悲しいような。美しいプロヴァンスの染色を取り合わせたテーブルクロスやナプキンや鍋敷きを並べ、この地方の伝統のさまざまのミニチュアの人形を棚一杯に飾った明るい店に入り、カウンターの可愛らしいアルルの女に、
「あなたたちは花の粉に悩まされませんか」と訊くと、
「ノー」と大きな声できっぱりと否定した。

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