第4回 エクスの日曜日
(1)
町の中心からアマゾンの調べが沸き上がっている。噴水を巡り、プラタナスの並木を伝い、梢を越えてホテルまでコンドルが舞ってくる。ペルーの日に焼けた黒い髪の男がCDの伴奏に合わせてサンポーニャを吹いている。細い竹を束ねた楽器をいくつも使い、マイクの前で胸いっぱいに吸い込んだ息を竹筒に吹き込み、ロトンドをアンデスに変えている。ミラボー通りは白テントが立ち並び、プロヴァンスの色鮮やかなテーブルクロス、スカーフ、ナプキン、コトンの衣料、ランジェリー、食器、玩具、香料、インテリア、アクセサリー、絵、写真、骨董、日々の暮しを彩るマルシェの日で、町や近在の人々で賑わっている。
「“セザンヌの土地”へいってくれ」とタクシーのショファーにいうと、私の観光地図を取って眺め、
「“セザンヌの土地”ってのはポピュラーじゃないよ」と重い英語でいった。
それから無線で会社に問い合わせたり、地図を見たりしながら、やっとローウ゛という郊外の丘に通じる登り口で車を止めた。
「ローウ゛とは狼の意味じゃないか」というと、
「英語は知らないが、ローウ゛は道という意味だよ」と教えてくれた。狼はルヴだ。
オレンジ色の石を敷いた階段を上ると植木屋が手入れしている植え込みの上に小公園があり、そこはサント・ヴィクトワール山を見晴らす絶好の展望台だった。セザンヌがそこで描いた山の絵の複製が数点フレームに入れて立ててあり、木立の中に点在するプロヴァンスの家々を眼下に、はるか彼方に目を透かすと、淡い藤色の靄の中に三角の山の稜線が地平の中心に凛と聳えているのが見えた。
(2)
小柄な老人が近づいてきて、
「わたしはここから20分のところに住んでいるんです。ここは家内とよく散歩にくるんです」と話しかけてきた。奥さんらしい人が少し離れたところで雑草を抜いていた。
「セザンヌはここに住んでいたんですか」
老人は目を私の目に合わせて顔を寄せてきた。
「わたしは右の耳がスウフで、イタリア語ではソルドというんです」
「ぼくも右の耳がスウフなんです」と調子を合わせると、
「あんたもか」といって笑った。
「写真を撮ってあげよう。そこに立ちなさい」
私はサント・ヴィクトワール山のはるか手前に立って、老人がシャッターを押すのをまった。ショファーが様子を見に石段を上がってきた。
そこからタクシーはサント・ヴィクトワール山のすぐ麓に博物館があるから、といって自動車道に入り、一路南に走り、前方に三角の山が近づいてくるのを眺めながら、森の中へ入っていった。丘を下り、壮麗なプラタナスの並木道を通り、また丘を上り、村を抜け、絵になる風景があっても止まらず、丘を下り、川を越え、とうとうヴィクトワール山が目の前に迫り、巨大な動物の化石のように鎮座する丘の上に出た。シマウマというよりもナガスクジラの腹を思わせる横縞のある巨体で、天辺の楊枝ほどの十字架は電柱でも立っているように不釣り合いだった。この山の石灰岩はかくべつ硬いと、アルルの美術学校にいた彫刻家がいっていた。
(3)
プラタナスの並木のあるワイナリー、シャトー・ドュ・トローネでタクシーを降ろしてもらい、下草を分けて枯葉の床に腰を下ろし、画材を拡げた。プラタナスの巨木の列と精いっぱい伸びた大枝の葉飾りの天蓋はどこの歌劇場よりも豪華で、正面の黄土色の壁の三層の館の白い窓枠、淡水色のブラインド、素焼瓦は、北国の城とはちがう、プラタナスの巨人に護られた貴族の別邸の趣で、人影はなく、ドラマの始まる前の舞台装置のたたずまいだ。客席は私ひとり。プラタナスの青い列柱のまだら模様の肌から始め、中央の空間に向かって左右から地面に触れんばかりに長い腕を伸ばして新緑の小旗を揺らす葉叢を描き、灌木の植栽の奥の窓の列と明るい壁に色をつける。この自然のホールに座って描いていると、私の目はズームレンズで、近くの木肌の地図模様に近づいたり、その幹を上がって太い枝がしなやかに伸びた先端まで黄緑を伝っていき、正面のシャトーの窓枠、ブラインド、屋根瓦、その周囲の深い緑と、伸縮自在に焦点を往復させながら、手元の画用紙の上に戻るのである。その往き来が緑のホールの空間で、そこに空気が、風が、樹の精気が流れ、中央の青天井へと昇っていくのだが、絵具はパレットと画用紙の間を往復し、ただ色の濃淡をつける。樹皮や葉や壁に色をつけるのではなく、空気と風と植物の呼吸を色で差異化しないと空間は表現できない。
「ご覧なさい、この木から私たちへと、空間が、大気があります。私はそれを認めます。けれども結局、この幹は手で確かめられるし抵抗し、この身体は……」(『セザンヌ回想』高橋幸次/村上博哉訳、淡交社1995)と考古学者ジュール・ボレリーは1902年にセザンヌが話した言葉を書き留めている。
プロヴァンスの夜空は紺色の葡萄酒のようだ。葡萄の樹のエキスが夜の間に上空に昇って熟成したのだ。ロトンドから北に斜めに入るとレストラン街に出る。インド、ヴェトナム、スペインの料理もあるが、イタリアン・レストランが多いので、ふとイタリアにいるのかと思ってしまう。ミラボー通りの大きなカフェの間の横丁を北の旧市街に入ると、最初の角にあるイタリア料理店が気に入った。地元の客が集り、地下の穴蔵は白く塗った石室で、大きな体のエクスの男たちが、奥さんや小さい子供たちとテーブルを囲み、大きなピッツァやビーフ、ムール貝、白身魚の料理を囲んで大声で喋っている。仕事の話か、仲間の噂か、どうも聞き取れない。子供たちはおとなしく大きな皿からパスタを食べている。わたしを気にするものはいない。