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ロンドンからマルセイユまで

第6回 シルヴァカーヌ修道院の空白

(1)
エクス・アン・プロヴァンスから車で40分ほど、林や池や川の畔の道を車に会うこともなく走り、やがて側道に入り、新緑に萌える蔦に覆われた壁が一面に大気と太陽の恵みに歓喜している石の低い建物の前で停まった。石壁の向こうに鐘楼が見えた。 蔦の葉の間の入口を入り、奥の壁の扉を開け、プロヴァンス3姉妹と呼ばれるシトー修道会の修道院の1つ、シルヴァカーヌ修道院の白い砂利の中庭に出ると、私は瞬時に影が消え、頭と肩にプロヴァンスの熱い太陽の光の重みを受けて空(くう)になった。脳も肉も日に直射されて気化し、がわだけが石の上に立っている。風の音も、鳥の声も、人の声もない。白い斜面の正面に石灰岩から切り出した大きなブロックを素人が手作りで積み上げたような質朴な聖堂が建っている。大扉は開いて、暗い奥の壁にステンドグラスの丸窓と、その下に細い窓が三つ望める。聖堂の前に満身を銀緑の葉で装った大樹が一本、歓喜の小旗を振っているかのように立って、かすかな風のそよぎにもさらさらと葉衣の袖をひるがえすと、葉裏は銀色に光る緑色で、小さな緑の花がついている。白い砂利に黒い葉影がくっきりと落ちて、綿雲が浮ぶだけの青の天空から射す日の下、神の宿った石堂に神がいなくなったあとの空き家を前にして、石と木と向かい合って私は無名の杭になって立っている。
祈るものはなく、「考える」という言葉もなく、「生きている」とも言わず、ただ光に頭と肩を押さえられ、無と対峙して、「いる」と感じている。光の重みに抵抗している。砂漠や山岳の自然の中に、自然のままに、動物や植物と同じようにいるのではなく、神の不在のあとで、残されたものとしてどう責任を取るのかと問われる。光と無音と不在の聖堂。言葉のない木の葉のさざめき。

シルヴァカーヌ修道院「木」

シルヴァカーヌ修道院「木」

過去の支配者の不在と残存する力。そのエネルギーの源が太陽であれ地下水であれ、風のそよぎであれ、現存の可能性、生きるにせよ死ぬにせよ、それが現在なので、過去の不在と未来の不在に挟まれた空(くう)は、双方からの「相互浸透」がないとき、たしかな「現在」となる。

 
(2)
シルヴァカーヌ修道院の前に佇んでの空白の体験は、自然の中での孤独や無や一体感とも、禅ともちがう突然の無名の認識で、この旅でなにかの純粋なエレメントに踏み入った経験であった。それは安易に人間の核心とか存在とか同一性などと名づけられない、「わたし」でもない、誕生でも蘇生でもない、天の下での光の圧力であった。それは植物とも動物とも石とも共通している存在の感覚なのかもしれないが、私は生きなくてはならないという本能ではなく、そこから出発しなくてはならないと感じたのである。
白い砂利の照り返しに眼を細め、額に手をかざしながら正面入口を見上げると、その上部にも周囲にも彫刻も彫像もなく、ただ鳥の浮彫りのように見える石が扇形の壁に嵌めてあり、左右の赤い小扉の上の三角小間に擦り減った十字の石が掲げてあった。聖堂の奥の暗い正面に花弁の八枚しかない薔薇窓と、その下に三組の細いステンドグラスの窓があるだけで、祭壇はなかった。

シルヴァカーヌ修道院「ステンドグラス」

シルヴァカーヌ修道院「ステンドグラス」

「この修道院は12世紀に造られたもので、プロヴァンスの3姉妹といわれる3つの修道院の中でもっとも形の整った美しいものです。今は使われていませんが、ここでは修道士たちは外界から一切遮断され、1日1食、人と会話をすることはなく、ひたすら祈りを上げて禁欲の生活を送ったのです……」
うしろからガイドの英語の説明のことばが聞こえてきた。いつのまにかアメリカ人やオーストラリアかどこかの観光客が数名集っていた。ほかにひと気はなく、石の壁と天井と床があるだけで、ひっそりと日の当たる中庭には草木が生い茂っている。修道士はなぜ世界から隔てられた場所でそれほどの禁欲の生活を送り、祈りを捧げなければならなかったのだろうか。現世のしがらみを断ち、罪を償い、神の足もとにひれ伏して救われようとしてか。自分ひとりでは死ぬしかないと追いつめられることもあるものだ。死ぬ思いでここの門を叩いたのか。

 
(3)
かつて修道士たちひとりひとりが起居し、雑念を払ってひたすら神への祈りを捧げた分厚い石の堂があり、やがて修道士たちはそこを去って、あとには空の石造物が残り、白い砂利と萬葉の木と、葡萄畑の縁に高い糸杉が並んで、無言で聖堂を見守っている。神が去ったあとの会堂と庭に太陽のみが変わらぬ光の力を降り注ぐ白い場所で、「わたし」がそこに足をつけ、大気を満たし、気力をみなぎらせるのを待っている。
観客のいない劇場の舞台だろうか。廃墟ではない。神のいなくなった能楽堂か。建物と庭と木はある。扉も窓もステンドグラスも中庭に降り注ぐ日差しもある。主はいない。神がいて、いなくなった。痕跡はある。だがギリシャの神殿で足もとを神にすくわれるというのではない。この場所の主は私で、私が訪れるのを待っていた。「私が考える」から私があるのではない。私はここにいるからある。水の音も、風のさざめきも、鳥の声もない。人の声も消えると、とつぜん耳もふさがれ、眼だけになる。白い砂利と黒い影と灰色の石灰岩と銀緑の木の葉がある。日の光の重みを頭の天辺と肩の付け根にずしりと受けながら、足は大地から水を吸い上げるわけではなく、ここに立ち尽くして責任を取れと、太陽と大気の無言の圧力を感じている。
自然の中にひとり立って、無限の開放感や言い知れぬ不安と恐怖に襲われるのではなく、この空の場所にいて、その中心のエレメントが内側から形を成していくのを待っている。神の館であったものが神が不在になり、あとに人間が移り住むわけではなく、だれかを、なにかを待っている。そこを満たすものは自然のエレメントだけだ。

シルヴァカーヌ修道院「糸杉」

シルヴァカーヌ修道院「糸杉」

そこから北の方に『南仏プロヴァンスの12ヵ月』を書いたピ-ター・メイルが気に入って住み着いたメネルブという村がある。中世のもの寂びた石造りの家々がひっそりと寄り集まっている。リュベロンという美しい地域に山並みと葡萄畑が広がる。狭い道を山に向かうと、中腹に古城のようにしがみついた石の家並みがある。ルシヨンという赤い断崖のある村がある。悪魔が赤い舌を剥き出したような岩から、昔、オークルという赤い顔料が作られていた跡だという。穏やかな丘陵地帯に人間が自然から生活の材を取り出した痕が、今は新たな観光の材料になっている。