第3回 エクス=アン=プロヴァンスのセザンヌ
(1)
マルセイユ空港にタイヤが接地し、ローカルなターミナルを出るとエクス=アン=プロヴァンス行のバスが停まっていた。まぶしい石の粉の道、丘、オリーヴを思わせる乾いた草木、素焼き瓦と白壁の家、ほのぼのとした青空と膨らんで動かない雲。セザンヌやブラックの風景画は描かれる前からここにあったのだ。ポピーが赤い襟をそよがせている。
(2)
この旅の第一の目的は、去年の秋から経堂のアトリエ虹で習い始めた透明水彩画を、セザンヌがモチーフにしたビベミュスの石切場へいって実際に描いてみたら、セザンヌの手紙の謎が解けるかもしれないということだった。1904年4月15日エミール・ベルナール宛の手紙に書いた「自然を円筒、球、円錐の形で扱い、すべてを遠近法に配置して、物体やのそれぞれの側面が中心点に向くようにしなさい」という有名な文句よりも重要な、同年7月25日付ベルナール宛の手紙に書いた、「絵(レアリゼ)がうまくなるには自然しかなく、眼は自然に触れることで鍛えられるのです。眼は見つめて描くことで同心円的に中心に向かうようになります。オレンジにも林檎にも球にも頭にも、頂点というものがあります。でこの頂点は——光や影やもろもろの彩色感覚にひどく影響されはするが——われわれの眼にもっとも近く、それら物体の縁はわれわれの地平におかれた中心に向かって遠ざかっていくのです」という文の意味である。
「われわれの地平の中心とか、球の頂点とかってどこにあるんでしょうか」
(3)
タクシーの運転者はエクスの郊外の住宅地を抜け、針葉樹や灌木の点在する砂地の丘を走り、サント・ヴィクトワール山もアルク川も見えないうちに公園のような開けた場所にきて、ここがビベミュスだと一本立った標識を指して私を下ろした。石を積み上げた塀に沿って坂を下ると鉄門があり、赤茶けた岩壁に大きな土牢のような穴が開いて鉄格子がはまり、「次の見学は5時」と書いた札が下がっていた。暗い洞穴の中で年配の女性が一人、カウンターの辺りに動いている。奥は深い洞窟のように見えた。
松葉の積もった斜面に新聞紙を重ね、パレットを開き、筆洗いにペットボトルの水を注いだ。窪地の底から赤味の岩壁が剥き出しになり、その上辺の草叢と木柵を越えて松と松が枝を交わしながら遠ざかっていく光景は、松葉が風に掻き回されながら風を切って鳴り、もだえる雲は白い身体をのけぞらせ、スケッチブックの紙に乗せると混み合って小さくなり、色をつけると自然でなくなった。松脂の渋いジンの香が鼻の粘膜を刺戟し、風にあらがいきれなくなった松の葉と実が筆洗いの中にも、パレットの絵具にも、画用紙の濡れた色の上にも落ちて、自ら透明水彩の松葉と実になりすまそうとした。人間も脂を含んだ松風が身に染みて、松葉と実の雨を浴びながら、切り株になっていくようだ。球の頂点はどこにあるのか。ざらざらの岩壁は絵具を水に溶いて塗ると滑らかな筆の跡になり、銀灰色の松の新芽は煙るように遠ざかるというよりも、滲んだ斑点になった。
尻が痛くなり、花粉症の涙と鼻汁は東京よりもひどかった。止めたくなった。筆を洗いパレットを閉じ、洗い水を足元の落葉に染ませ、ずり落ちた新聞紙を拾おうと身を屈めると、身体はゆっくりと頭から地面に近づいて柔らかい落葉の堆積に触れ、つれて尻は空に持ち上がり、胸はたわんで腰も脚も縮まり、親身な枯れ葉の斜面を転がり落ちて窪みの底で止まった。私は球で、頭は尻の先に、頂点は尻の上にあった。