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ロンドンからマルセイユまで

第8回 ディジョンのフクロウの街を歩く

(1)
マルセイユ駅でニース発パリ行のTGVに乗ると、デッキの荷物置き場の下段はいっぱいで、中段にはギターが大事そうに置いてあり、上段だけが空いていた。重いトランクを通路に置いたままとほうに暮れていると、わきにいたギターの持ち主の若い男が、上に乗せるのか、と手振りで合図する間もなく私のトランクに手をかけ、二人で力を合わせ、途中でこちらの顔に落ちかかるのをこらえてやっと棚に押し上げた。ほっとして男を探すと、もう座席の背もたれに寄りかかって本を読んでいる。指定券はもっていないのだ。
「メルシー」
と心を込めて礼をいうと、男は本を読んだまま心もち顔をこちらに傾けて、いいんだよと優しくうなずいた。旅先での他人の親切ほど心に染み入るものはない。イギリス人はこのごろ「ノー・プロブレム」と掛け声のように無表情に前を向いたままいう。アメリカ人に話すと、それはアメリカンだという。
エスカルゴとブルゴーニュ・ワインとマスタードのディジョンは緑したたる清流の都のイメージをもっていたが、駅前広場のタクシー乗り場の列に並んでいっこうに現れないタクシーを待っていると、工事現場の向こうに汚れたビルばかりが見える風景に、ここに数日泊まることにしたのは間違いだったかと不安になった。
ホテルでもらった市街地図を見ると、旧市街の中心に教会、宮殿、美術館などがあるようだった。身軽になって街へ出ると凱旋門があり、右手に大きな教会の尖塔が見えてそちらに曲がってみると、黒と黄緑の瓦を菱形模様に葺いた急勾配の屋根が聳えて、ベルギーの町を思い出した。11世紀初頭、ブルゴーニュ公国の都として栄えたころ、フランドルから多くのアーチストや職人が招かれたということがあとで分かった。歩道のあちこちにフクロウの絵柄の真鍮のプレートがはめ込まれて観光案内をしているようで、そこがサン・ベニーニュ大聖堂だった。その薔薇窓のステンドグラスの模様の繊細さは中世の聖堂でなくては見られないものだ。扉口や説教壇や祭壇の浮き彫りにしても、中世の職人の丹念な細工は、シンプルで軽快になっていく近代のデザインに並べると時間が凝縮され、永遠をひとところに集中させてある。現代の人間の脳の襞は時計の細工や半導体の計算の方に集中して、目に見えるデザインは脳の時間を切断したり空間を裏返したり、宇宙に伸張させたりする。

ディジョン考古学博物館 天使とヨセフ

ディジョン考古学博物館 天使とヨセフ

聖堂の隣の鉄柵の中に庭があり、長い僧院風の建物がある。考古学博物館という表示があるので入ってみる。小さな入り口の奥に受付があって、入館料は無料だという。石段を3段降りて、次は同じ色合いのフロアと思って右足を前方に差し出したら、足先は予定よりも低く落ちて、上体は足に引かれて前方に平に傾き、両手を拡げてライムストーンの床面に蛙のごとくぶつかった。蛙ほど腹は膨らんでいなかったが、膝と胸が水平になって落ちた。ああ、と思っただけで、石の壁が目の前に、両手の下にあった。次の瞬間映画フィルムを逆回転するように身体は垂直に戻った。そばにいた二人の男の係員が私の腕を抱えて即座に抱き起こしてくれたのだ。足は動き、膝は身体を支えていた。窓際のベンチに座って休んでいると、入り口の方から中背の初老の紳士がやってきて私の前に立った。
 
(2)
「私は博物館長です」と優しい物腰で告げた。びっくりして立ち上がると、
「どうぞそのまま。お身体大丈夫でしょうか。病院に行かなくてもいいでしょうか。ホテルはどちらですか」と心配そうに訊く。
「歩けるから大丈夫だと思います」と礼をいうと、
「ここはもとは修道院で、かつては100人ものモンスターが住んでいて、その妖気が今もこの部屋にあふれているのです。そのためにいろいろ奇怪なことが起こるのです」とこの中世の建物の来歴を語り始めた。日本人のようなおだやかな話し方に慰められ、親切な心遣いに礼を述べた。係の人たちが一大事にびっくりし、あわてて館長を呼んだらしい。
しばらくして歩き出すと、その階にはダニエルやヨセフやキリストとその弟子たちの石灰石の浮き彫りが置いてあった。修道院の中庭の回廊にある柱頭の彫刻だったのかもしれない。古代ギリシア・ローマの彫刻とは違って、日常の人間の表情や姿勢に親しみがもて、道化のようなおどけた顔もあって、柱の上にあるよりも顔を寄せて眺めることができた。11世紀頃のロマネスクの彫り物は芝居がかって、中国の仙人のような神像や農婦の顔をしたマリアもあり、典型的な美よりも日常の心の動きを表していた。日本の道祖神のように、中世の民衆に寄り添った素朴な石像は、彫り師の住む村や町が大きくなり、上流階級の様式的なポーズやドラマチックなクライマックス像となって、隣人の味わいはなくなっていく。高い場所に飾って多くの人に崇め仰がれる理想像は触れ合える人間からは遠ざかっていく。彫刻は本来は身近な、触れて親しみ、祈るものであったのだろう。
ディジョンの街はなぜかやたらと薬局が目につく。女性たちがよほど化粧にこるのだろうか。せっかくだから打ち身の湿布を買おうかと中に入ってみるが、棚にあふれる包装箱の表示から湿布のフランス語を探すのは困難だ。美人の若い女性が近づいてきて、
「なにをお探しですか。私英語が少しできますから」とこちらの不案内を察して話しかけてくれた。そこで英語で、
「石の床の上にこうやって転んだんです。打ち身の湿布を買いたいんです」
「青くなりましたか」
「まだ青くはないんですが。パテのついた薄いパッチです」
相手の英語の知識はごく限られているようだった。軟膏の入っているらしい箱をもってきた。
「ノン、ノん。これくらいの薄いパッチで、アルミニウムの袋に入っているんです」
「パッチ」と「アルミニウム」の用語を年上の女性店員と交わしているうちにやっとひらめくものがあったらしい。年上の女性が奥へいって、それらしい大きさの薄いパケットをもってきた。説明を読むまえからそれとわかった。おかげでディジョンの美しい女の子と話ができた。

 ディジョン ノートルダム寺院のガーゴイル

ディジョン ノートルダム寺院のガーゴイル

マスタードのマイユの本店らしい店があった。棚に何段もずらりと黄茶に胡椒の黒い粒などの入った瓶が並んでいる。45種類あるのだという。ここでも美しい女性ができぱきと客をさばいていた。オリーヴとバズル入りのマスタードを買った。
観光案内所で町中の道にはめてあるフクロウの図案はこの町のサインなのかと訊くと、デスクの女性はにっこりして、フクロウの彫刻はノートルダム寺院の左手の柱にあって、左手で触って願いごとをすると叶えられるのだと教えてくれた。ノートルダム寺院はインフォメーションのある通りの一本北側の商店街の突き当たりにある。堂々たる正面大扉の上部のアーチに幾筋にも彫られた聖者たちの黒ずみ、摩耗し、欠けた姿の左側を目をこらしていくら探してもフクロウの姿は見つからなかった。 
 
(3)
金曜日はマルシェ(市)の日。町の中心のレ・ザール(市場)の周りはテント張りの店がいっぱい。野菜、果物、花、衣類、アクセサリー、化粧品、婦人用下着、ブルゾン、靴、鞄、古道具、写真、絵、カード……。中に入ると肉、野菜、総菜、チーズ、菓子、魚の店が軒を連ね、レストランのメニューを見てもものが分からないので困る食料品の名前を確かめるのに絶好だが、せっかく実見してもすぐ忘れる。魚は3枚に下ろした白身のものと赤いサーモンのみ。果物はスペインのものが多い。ラパン(ウサギ)もある。昔のようにもとの形のまま売っているものはない。雉や鳩がそのままふわりと置いてあったものだ。市場の周りのカフェやレストランは祭りのように賑わっている。
ノートルダム寺院の裏には。中世のままの木骨とレンガ・漆喰造りの店が並ぶ通りがあって、絵はがきにもなっている。寺院の横のサロン・ド・テはいかにも骨董品の家だ。古いブリキの紅茶の缶や小さなティーカップなどがいっぱい並んで骨董屋の趣き。中国の緑茶と砂糖をまぶしたプチ・クレープを頼む。ハーブの香り。壁にはフクロウの絵や写真がいっぱい。黒い鉄柵のわきで男の子がフクロウに触っている写真があるから外壁の低い位置にあるらしい。
「すぐそこにあるよ」初老のマダムが窓から見える聖堂の壁をさして教えてくれた。
小さな木扉を開けて外に出ると、そのすぐ先の寺院の石の支柱の角に、何百年と人の手に触れられて艶を帯びた蜂蜜色の石灰石のフクロウの突起があり、その前にひときわ大きな真鍮のフクロウのプレートが石畳にはめ込んであった。黒いスーツの紳士がひとり、左手でフクロウに触り、うつむいて長いことなにか願いごとをしていた。そのあとで私も左手を伸ばしてやわらかみのあるフクロウの身体に触り、もう転ばないようにと安全を念じた。

 ディジョンのマルシェ

ディジョンのマルシェ

マルシェを片付ける白いワゴン車がつぎつぎと人を分けて入ってくる。もうテントの骨組みを解体し、ろくに売れもしなかった安いエプロンやズボンやスリップを黒人がワゴンの中に放り込んでいる。
その夜はむしょうに中華料理を食べたくなり、ノートルダム寺院の裏手に見つけた立派な中華料理店へ行く。ウインドウにミツビシ御用達と書いてある。静かな店。夫婦でやっているのか控えめで丁寧。スープ麺の中にエビとビーフとチキンが入っている。ミックス野菜の炒め、カレー味のサンジャック(ホタテ貝)とチャーハン。この飯の炊きかげんがよくていちばんおいしかった。