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ロンドンからマルセイユまで

第13回 トラファルガー・スクエアからキャナリー・ウォーフへ

(1)

トラファルガー広場、ロンドン

トラファルガー広場、ロンドン

ロンドンのトラファルガー・スクエアはイベント広場である。中身はヨーロッパ美術の宝庫だが外観はさえないナショナル・ギャラリーをバックにして、ネルソン提督の銅像を載せた塔の下、巨大なライオンのブロンズ像に見守られている。1年中いろんな催し物があってロンドンの若者たちが自由を楽しむ空間だ。そのときはロシア兵によって殺されたチェチェン市民たちの追悼式が行われようとしていた。人垣に囲まれたコンクリート面に、火を点した赤白のキャンドルが十字形に並べられ、参列者が花を捧げ、塔の台座の上でリーダーがチェチェン語で演説し、ついで英語のスピーチがあった。大道芸人たちがパントマイムをしたり、火の出るラッパを吹いて演奏したり、鉄の鎖を身体に巻いた男が悲劇の演技をするときもあり、ロックバンドが大観衆を集めるときもある。ギリシア神殿風のナショナル・ギャラリーはいつも黙って階段の上から眺めている。筋向かいのチャリングクロス駅前のストランド通りを歩き、劇場街のオールドウィッチ通りへ入る。角のオールドウィッチ劇場で、昔友人は芝居がはねて赤絨毯を敷いた正面階段を下りようとして転げ落ち、意識を失った。長い人生と旅の果て、ついに疲労が限界を超えたのだ。イギリスの紳士淑女たちが身を丸めて横たわる友人を囲んで柵を作り、救急車を呼んだ。初老の劇作家の友人はしかし、ロンドンの病院から復活した。
その劇場の前に並んだ客待ちタクシーの先頭に近づき、ホワイト・チャペルへ行ってくれと乗り込んだ。
「ホワイト・チャペル・ギャラリーを知ってるか」と訊くと。
「ホワイト・チャペル・ギャラリーは知ってる。あなたはフォトグラファーか」と訊いてきた。
車はセントポール寺院をまいて東へ走った。中年のドライバーは助手席から分厚い本を取り上げ、
「わたしはこの本を座右の書にしてるんですよ」といって見せた。ゴンブリッチの『美術の歩み』だった。さすがはイギリスのタクシードライバーと敬意を表した。
「ああ、ゴンブリッチ。あなたはイギリスの画家では誰が一番好きですか」
「ターナー」もっともだが少しがっかりした。よき美術愛好家。
「テムズ河口のドックヤードの跡地にニュータウンが出来て、今やロンドンの最先端の建築群が並び、建築家やデザイナーやプロフェッショナルが移り住んでいると聞いたが、まだいったことがないんですよ」
「キャナリー・ウォークへいってみなさい。高層ビルが並んですばらしい眺めだ。あの辺りをドックランズというんです。ホワイト・チャペルから地下鉄で2つ目だ。ぜひいってみなさい」
キャナリー・ウォーク? カナリアの散歩道か? ホワイト・チャペル・ギャラリーは駅のすぐ隣にあった。立派な建物で、無料とある。ポール・グレアムというイギリスの写真家の全倍の写真が全館に展示してあった。ヨーロッパ、日本、アメリカの旅で撮ったドキュメントだが、人間たちの日常のいろいろな場での心の隙間、現在、未来への不安、もてあます時間と 身体をとらえている。タイトル写真が京都の人と見える、色白の若い日本人女性、茜色を帯びた美しい豊かな黒髪、上品な眉と眼と鼻、左手の四本の指をそろえ てきれいな歯並びの口元に近づけている。喫茶店でカメラを向けられて恥ずかしがるようなさわやかな笑顔。こんな清楚な日本的な女性がまだいたのか。紙コップが床にころがる失業保険給付所で待つ男たち。ポケットに新聞を突っ込み、絶望的な目つきで壁に寄りかかる若い男。ニューオルリーンズの場末の街角で仕事のない坊主頭の若者たちが所在なくたむろしている。みな別々の方を向いている。日本人のサラリーマンの顔の肌がクロースアップで撮られている。肌理がはっきりして珍しいのか。

 

(2)

西インド会社の倉庫、ロンドン

西インド会社の倉庫、ロンドン

かつて住み慣れたロンドンでも、一歩路線を外れて地下鉄に乗ろうとすると、たちまち異国の世界になる。地図はないので、駅の路線地図の乗換駅の名前と次の 路線の行先をなんども頭にいれる。郊外線は車両もきれいで空いており、駅も清潔でロンドンとは思えない。車内でも地図を見上げ、駅に止まれば名前を確かめる。1つ目で乗り換え、たしかに2つ目にキャナリー・ウォ—クでなくキャナリー・ウォーフという駅があった。キャナリー波止場だ。エスカレーターが天から 下る鉄の瀧のように何台も並び、頭上には天を戴く明かり取りの巨大なドームがあった。地上に出るとタイルを敷きつめた広場があり、空の明るさは近くの広い水辺を映していた。運河と見えるのはもとドックヤードで、見上げるとまぶしいばかりにガラス張りの高層ビルが建ち並び、クレディ・スイス、シティ・グループ、HSBC、バンク・オブ・アメリカ・メリル・リンチ、モルガン・スタンリーと世界の金融機関の本部が肩を並べていると見えた。対岸のビルの上層の空洞から赤いアンダーグラウンドの車両が音もなく現れ、空中の軌道を伝ってこちら側のビルの中へ吸い込まれていく。細い通りが曲線を描いて交叉するクラシックなシティはもうロンドンの遺跡なのだ。

 

(3)

ウェスト・インディア・キー、ロンドン

ウェスト・インディア・キー、ロンドン

キャナリー・ウォーフはもとはキャナリー諸島との貿易のために設置された波止場だと知った。モダンなビルの一階のイタリアン・レストランに入ると、女性た ちの生き生きした会話、テーブルの間を滑るようにサービスするボーイたちで活気にあふれていた。一心に耳を傾けても若い女性たちが大声でしゃべる会話の中身は聞きとれない。水辺を離れて石段を上がり、公園を抜けて北側の斜面へ下りると、別のドックヤード跡の水路に白いロープを張ったブリッジが懸かり、正面に古い煉瓦の倉庫が並んで、ウェスト・インディアと書いてある。旧西インド会社の倉庫群が残っていて、ここはその埠頭だったのだ。河岸には観光客用のパラソルと椅子が並び、 倉庫の中にはバーやコーヒーショップや土産物店が並んでいるが人気はない。埠頭には昔使われた菱形のクレーンが立っていて、往年の華やかな貿易船の荷揚げを偲ばせる。そこから高い鉄の階段を昇って空中の地下鉄駅、ウェスト・インディア・キー(埠頭)から、さきほど見た空中アンダーグラウンドに乗る。キャナリー・ウォーフを離れると、辺りはテムズ河口の砂州に近い荒漠とした風景になる。このすぐ北のオリンピック・ガーデンに夏の五輪のメインスタジアムが建設された。やがてロンドンのイーストエンドの住宅街に入っていくと、金融帝国とは無縁の、昔ながらの4、5階建てのアパート群があって、痛んだ屋根、錆びた窓、汚れた壁の寂れた風情は、まさにそれが人の住むところで、洗濯物が唯一住民の生活の標しとして、高架軌道を走る最新の地下鉄路線の窓から眺められた。新しい車両はやがてシティのど真ん中の駅、バンクのターミナルに着いた。この短い路線、ドックランズ・ライト・レイルウエイには大英帝国200年の歴史が圧縮されてある。
(「ロンドンからマルセイユまで」終り)