第11回 アルマグロのカトウ
(1)
『ドン・キホーテ』を読んでから、無性にスペインのラ・マンチャ地方に行ってみたくなった。ドン・キホーテが手作りの面頬つきの鉄兜を被って槍で闘った風車を見てみたくなった。エル・グレコが絵に描いたとおりの混み合った斜面の町トレドまで来たが、そこから先どうやってカンポ・デ・クリプターナの風車の丘へ行けるのか。バスターミナルの物置のような暗い部屋の事務室にいる年配のスペイン人に英語は通じそうもない。どうやって汽車に乗り、宿を探し、またバスに乗るのか。スペイン語ができなくては無理そうだと諦めてホテルに帰ると、フロントのスタッフがレンタカーがあると教えてくれた。ショッピング・センター内のレンタカー屋に行くと、アルマグロという町に修道院を改装したパラドールという国営のいいホテルがあると勧めてくれた。
トレドの町外れに「シウダ・レアル →」と書いた道路標識が立っていた。その矢印の方向に向かって車のいない街道を快調に走り出した。灰黒の雲の下に赤黒い荒野が遥か地平線まで広がり、わずかな起伏があるだけで家の一軒もなかった。アメリカの南部に移住したスペイン人たちはさぞかし故国のこの風景を懐かしんだろうと、ニュー・メキシコの赤黒い砂漠を思い出した。しかし30分も走ると、もしかしてスペインの中央部のなにもない荒野に向かって走っているのではないかと不安になってきた。やっとガソリンスタンドが一軒立っているのを見てブレーキを踏み、スタッフに「シウダ・レアル?」と訊くと、相手は呆気にとられた顔をした。
「トレドから向こうの街道に入るんだ」
「いまトレドからきたんだけど」
また30分トレドへ引き返した。先ほどの矢印の標識の少し手前でまたトレド方面の走路へ戻る標識があった。一種の細長いロータリーだったわけだ。目立たない細い坂道を上って、やっとシウダ・レアルに向かうハイウェイに入った。こんどは雲間に太陽も見える、暖かみのある赤茶の乾いた大地を地平線に向かってまっすぐに走り始めた。村があり、木立があり、葡萄畑があり、丘の上に白い風車が巨人の戦士のように並んでいた。
2時間ほどでシウダ・レアルという大きな町に着いて、「アルマグロ →」の標識に従って左に折れ、さらに20分ほど走ると静かな町に入った。自然石を積み上げた宮殿のような元修道院のパラドールが正面に見えた。
(2)
町の中央にある長方形のマヨール広場は、木柱の連なる回廊つき3層の木造長屋が両側に建ち、正面に大時計のある鐘塔つきの市庁舎が建つ16世紀の古いプラザだ。2、3階は端から端まで緑色のガラス窓で、床が波打っている。これがスペイン一美しい広場だともいわれている。その家並の中程に、野天の中庭を客席の回廊が3階まで囲んでいるコラル・デ・コメディアス(芝居小屋)がある。この種の建築構造ではスペイン最古の劇場で、7月には街のここかしこの4辻にも仮説舞台を設えて、町中で古典演劇祭が開かれ、世界中から観光客が集まるという。その向かいの小さなカフェでコーヒーを飲んでいると、まだ日射しの強い広場を小柄な日本人らしい男が通りかかった。ふとこちらを見て、日本人がいると思って店に入ってきた。カフェの若いマスターとは顔見知りらしく、私の隣のスツールに座って「カトウです」と名乗り、スペインの田舎町で、まるで日本語と日本人に飢えていたかのように自分の過去を語り始めた。マスターは母親が作ったここの伝統的なケーキだといって一皿ご馳走してくれた。
「岡山の出身なんです。高校を出て上京して、高田馬場で左官屋をやって、手下を12人もつほどになったんです。親方に跡継ぎを期待されていたんですけど、こんなことをしていては駄目だと思って、金を貯めて7年前にスペインに来たんです。絵は独学なんですけど、シウダ・レアルでも売れるようになったんです。そこの商工会議所や市役所などで個展をやったり、天井画の手伝いをしたり、ホテルやレストランの装飾をしたりしています」スペインの家は壁や天井や扉に花や動物の装飾模様を描いているところが多い。「そもそもの始まりが、ヒッチハイクで車に乗せてもらったら、運転していた人がシウダ・レアルの大聖堂の司教だったんです。自分は絵の勉強をしているんですと話したら、それならうちの聖堂に来て装飾を手伝えといわれて、すごくラッキーだったんです」
苦労して生きてきた皺が、乾いた石みたいに日焼けした額と頬に刻まれて、身のこなしは敏捷だが、年の頃35、6、ひょっとしたら40近いのかとも見えた。カトウが内装したレストランを案内してくれた。扉に鮮やかな花の絵、両側の柱と上の横木に幾何学模様が描いてあった。そこで出た小麦色の食パンの風味は今まで味わったことのない深いもので、それだけちぎって食べた。店でも街でも、美しい女性や娘たちが会うごとに「カトウ」と優しい声をかけてにっこり挨拶した。レース編みを作っている家にも案内してくれた。両親と2人の美しい娘に紹介された。そこにいた3人の客も美人で、28歳の医学生だという。
(3)
翌朝早くカトウがパラドールのフロントに預けておいてくれた地図を頼りに、風車の丘、カンポ・デ・クリプターナ目指して出発した。村から村へ、小さな標識に従いながら、背の低い葡萄の樹の並ぶ赤茶の乾いた土の畑を抜けて走ると、白い家々の群れの向こうに、丸い白い塔に黒い4枚の大羽根をつけた風車のある丘が見えてきた。思わず微笑みたくなる童話の挿絵の風景だ。ほかでは見られない、スペインのもっとも愛すべき風景だろう。風と歯車と臼。昔は自然のエネルギーと畑を耕す人間の労力が調和を保っていた。それが19世紀までの平和な絵画の主題だった。見えない神と悪魔の力に抗い、科学によってそれを超克しようとした結果、原子の見えない力の報復に遭って、21世紀のドン・キホーテは風車を味方にしようとしている。
巨大な白い胴体は真っ青な空に浮き立ち、風車は本物だが羽根は止まって眠っている。辺りには自動車が停まり、空き瓶が転がっている。白壁と青緑の扉と素焼瓦の屋根の向こうはぐるりと畑に囲まれ、地平線まで広がり、遠く白く煙っている。
麓のレストランに入ると、日曜日の教会のミサが終わって立ち寄った一家が晴れ着姿で入ってきた。両親、長男夫婦、息子とフィアンセ、娘たち、いずれも美男美女、思わず目を見張る。ラ・マンチャは美女が多いのだろうか。
夕方カトウがパラドールに迎えにきてくれた。赤味を帯びた西日に染まった自然石の壁を這い上る蔦の葉叢の中で、何千という鳥がインコみたいな鋭い声で騒ぎ立てていた。1日あったことを話しているのか、自分の気に入った寝場所を取ろうと争っているのか、姿は見えない。バー・ボデカでコニャックを飲み、ピーマンと牛肉の煮付けを3切れのパンに乗せて食べた。それは無料の肴だとか。夜、パラドールのレストランでカトウにディナーをご馳走した。地元のヴィーノ・ブランコ(白ワイン)を飲み、柔らかい羊の肉を食べた。カトウは写真を見せながら、結婚相手に考えた女性たちの話を次から次へと話し始めた。よほど日本語の身の上話がたまっていたのだろう。振られたり、親が反対したり、本人が大学に行って結婚の気がなかったり、姉妹で張り合ってうまくいかなかったり。日本から来た身元の知れぬ絵描き職人がそんなにもてるのかと聞いていると、本命の羊飼いの娘の話になった。
「気立てがよく、自分に好意をもってくれているんですけど、父親が反対していて、本人は看護師になるために勉強しているんで、まだすぐに結婚する気はないんです」
こうしてカトウはいろいろな美しいスペイン女性たちを遍歴しているうちに年を取ってきた。羊飼いの娘の写真を見せてくれた。30歳くらいに見える優しい顔をしていた。広いレストランの客は私たちだけになっていた。ウェイトレスが様子を見に来た。
「遅くまでいて済みません」とカトウがいうと、顔見知りのウェイトレスは、
「いいのよ」といって皿を下げるのを諦めて戻って行った。
夜11時頃になってマヨール広場に出た。まだ店は開いていて、賑やかなバーに入って椅子に座ると、可愛らしい少女が後ろから近づいてカトウに目隠しをした。17、8歳の娘に見えたがまだ13歳で、このバーのオーナーの娘だという。町の人たちが子供も赤ん坊も家族総出でバーやレストランで楽しんでいる。
「こうやって子供の頃から人間教育や社会教育がなされているんです」とカトウが説明した。夜遊びも社会教育か。オーナーの父親は心配して娘を見守っている。